吉田松陰が人生を四季になぞらえていて、四季で形成される「年」の語源が「稲」であること から出発して、水嶋結は、稲が送る半年を物語る「四季」を執筆した。種もみの状態から育ち、 稲として生育して、稲刈りをへて玄米になり、食用に供される。そうして稲はその生涯を終えるが、 その死の時期は新たな再生の始まりであり、実った稲の一部は新たな種もみとなり、再び生育し て、刈り取られ、同様の循環が繰り返される。この循環の時間的な回路が「年」である。水嶋が 抽出して物語るのは、そのひとつのサイクルだ。

 こうして語り出される物語には写真が添えられていて、印刷された冊子は良質な絵本の姿をして いる。童話的な物語が、匿名的な語り手によって淡々と描き出され、その間に稲やカメといった 登場人物の口語が挟まり、交差していく。そして、自分はなぜ生まれたのか、これからどうなるのか、死とはなにか、といった根源的な問いが提起される。この物語を読みながら、あらためて人はなぜ物語を語るのか、と考えさせられた。われわれは生まれたときの明瞭な記憶をもたず、 死を生きたまま経験することはできない。誕生と死を語ることができるのは、それを経験する 「私」ではなく常に他者であり、それは私にとっては未知の出来事として物語られる。そして、誕生と死という未知のあいだで宙づりとなった生を生きるわれわれは、不安で不完全な存在であり、その空白を埋めるものとして、長いあいだ宗教が存在してきた。現代は、その宗教的な権威が失墜した時代であるが、その役割を物語が担うことができないだろうか。そのような問いをこの物語から受け取った。

 そして、われわれは何故そうして語るのか、という問いを、大内瑞月の「誰かと話したかった色んなこと」と田代あゆみ「smetana」から受け取った。われわれが言葉を用いて語るのは、それぞれが一人として存在しながらも、けっして一人では生きられないからだ。一人で生きられるなら言葉はいらない。もちろん言葉は、情報伝達の道具として、人と人を結びつける。しかし、単なる情報伝達という目的以上に、根源的な次元で、言葉は自己の外へ向けられた露出であり、自己と他者の交流をもたらすことができる。

 大内は、自分のなかでざわめき続けることばを、外へ向けて語りかける。それは、誰かと話さずにはいられないからだろう。しかし、それは単なるモノローグになろうとしてはいない。画廊を訪れた人々は、そこに用意された用紙に自分の言葉を書き込むことができる。展示空間において外へ曝された言葉は、読み手の応答を求め、呼びかけと応答による複数の声の空間を形成していく。それは展示という形式が可能にすることだ。そして、その大内が誰かと話したかったことは、正方形の紙に記されているが、その「色んなこと」を語る用紙は、色々な色彩に彩られ、その言葉たちも、そしてそれを書き記す「私」という存在も、けっして一様な存在ではなく、さまざまな表情をもち、さまざまな思いを抱える多様な私であることを示している。一方、田代あゆみの作品は、白い小さな用紙でできた冊子である。詩的な形式で書かれたそれらの言葉は、日々の私的な思い、感覚、回想、想像を書き留めた断片に思える。それはまずは個人的な営み、つぶやきであるが、しかし、一人の著者によって署名されたテクストは、実は必ずしも私の一人語り を示すことなく、むしろ私を自称する無数の非人称的な語りとして現れる。田代の言葉も、こう して閉じたモノローグではなく、多様な表情をもつ言葉のざわめきとして、閉ざされた個人の言葉としてではなく、外へさらけ出された呼びかけとして、読む者の耳に届く。そしてその呼びかけは、言葉の空間のなかでわれわれの応答をいざなう。われわれは、その空間において、自分の外へと身をさらし、共に存在することによって、共同性を形成する。その空間は、見えるものとして、手にとれるものとして現れることはない。われわれは何も共に所有することはない。しかし言葉は、そのような所有なき絆を結ぶことを可能にする。

【講評者】

江澤健一郎(えざわけんいちろう)

立教大学兼任講師。著書、『バタイユ——呪われた思想家』ほか。訳書、バタイユ『有罪者——無神学大全』(河出文庫)、ディディ=ユベルマン『イメージの前で——美術史の目的への問い』(法政大学出版局)ほか。